Stories No.22 ~世界一尊敬する人~


Stories No.22

私が生まれてから今までのはなし。

私がこの世に生をうけて30年。
いろんなことがありました。いろんな経験をしました。

嬉しいときも、悲しいときも、落ち込んだときも、悩んでいるときも、たとえ日本にいないときでさえも、いつも私の1番近くで見守り続けてきてくれた母。

どんなときも味方でいてくれた母。
私のやりたいことをやりたいようにやらせてくれた母。

自分のことは後回しで、いつも子供達のことを優先させてくれた母。

自由奔放だった私は、いつも心配ばかりかけていました。(これは今も…笑)

覚えていますか?

小学校に入学するときに、友達ができるか不安で不安で、でも勇気を出して、後ろの席の子に話しかけることができたことを報告したら、抱きしめながら高い高いしてくれて、一緒に喜んでくれたときのこと。
覚えていますか?

幼稚園から友達と一緒に習っていたバレエ。

友達が辞めるから私も辞めると言ったときに、怒りながら人に合わせるのではなく、自分の意志をしっかりもつことと、1つのことを続けることの大切さを教えてくれたときのこと。

覚えていますか?
小学校のマラソン大会で、友達は上位になったら親からお金をもらえると言っていたのを聞き、私にはごほうびはないの?と言ったとき、「お金の為にがんばるのなら上位にならなくてもいい」と一蹴。なんの為にベストを尽くすのかを教えてくれました。

おかげさまで小学校6年間1位を獲れました。

覚えていますか?

ミニバスの試合で、なかなか思うようにプレーできなくて、試合に出させてもらえなかったときに、こっそり私の大好物のあんみつを大量に買っておいてくれたときのこと。

覚えていますか?

高校時代、突然スタメンから外されて、落ち込み、なかなか母に言えず、ついに打ち明けたときに、「何も恥ずかしいことじゃないじゃない、今できることを一生懸命やりなさい」と言ってくれたときのこと。
おかげで、またスタメンまで這い上がり、国体選手に選ばれた上に、その年のベスト5プレーヤーに選出されました!

母はいつも人として大切なことを教えてくれていました。
体育の教師になるために大学に行ったのに、整体師の道を選んだ私を、はじめはきっと心配したでしょう。

神奈川に配属になったときは家族全員で、お店に施術を受けに来てくれたり、地元の茨城に異動になったときもお店に来てくれた母。

実家から通うことになり、毎日疲れて帰ってきて、毎晩のようにお風呂で寝ていたり、帰る途中にコンビニで寝てしまったりして、心配かけても、それでも毎日、お弁当を作ってくれていました。

ましては、オーストラリアに行くときや、何の宛もなくオランダに行ったときはさぞかし心配だったでしょう…

でも私が頑張っている様子をみて、誰よりも喜んでくれました。
いつもどんなときも私のファンでいてくれました。

私を含め子供たち3人に対して、決して愛情が1/3になるのではなく、子供ひとりひとりに常に1で向き合ってくれていました。

ありがとう…
世界中探しても、お母さんみたいな人はいないと思います。
お母さんが私のお母さんで本当に良かった。本当にありがとう。
会社のパーティーに来てくれた母☟
たくさんの愛をありがとう!!
世界一の母だと思っています。

あなたはいつまでも私の心の支えです☆

そんな母の日に私から愛を込めて感謝申し上げます。
こんな私だけど、これからもよろしくね❤
tot ziens x

RIE ;)